老婆とその娘であろう50歳前後の娘
髪はボサボサで顔は煤け服は燻んで汚れてた
腰が曲がった母親は時折り立ち止まる
年老いた娘はゆっくりと歩調を合わせる
誰も気に留めない
風景の一部にもならない存在感の薄さ
老婆も若い時があり、娘もよちよち歩きの幼い頃はあったはず
それらが元からなかったかのように時間は残酷に過ぎ去る
今、彼女たちが死んでも誰も気に留めないだろう
まるでこの世に最初から存在していなかったかのように...
バス停
女性の写真
そこには喜び
哀しみ
怒り
何もない
時間も止まってる
不思議な広告だ
今の自分もそうかな
時間だけ終末に向けて流れてる...
今日を限りの命ともがな
「いつまでも愛は変わらないよ」
というあなたの誓いが
将来まで変わらないなんて分からないから、
その言葉を聞いた幸せな今日を限りとして
死んでしまいたい
楽しいまま死にたかったと
言われたことがある
あれで終わってたらよかったかも知れないね
醜く年老いていく前に...
離婚してから20年が経ち
その間ふたりの女性と付き合った
それはこのブログの歴史でもある
ぼろぼろだったメンタルを救ってくれた人は皆、精神疾患持ちだった
当然共依存関係に至るまでには時間はかからない
共依存はお互いを傷つけ合う
セックスの時の甘い時間は一瞬
その後激しく罵られる
その繰り返しが続く
共依存の闇は深く
離れられない関係になる
傷つけ合うことで愛を確認したりする
試し行動そのもの
それが愛なのかと問われれば
間違いなく愛だったと思う
共依存は愛ではないと言うけど
あれだけの激情を経験すると
そうは言えない
あの時はふたりで消えたいと思った
ロマンチシズムと笑われても
それでもよかった
毎日のように死にたい人同士が交流してる様子をROMしてた
そういう自分も苦しくて引き込まれそうになっていた
当時はネットに救いを求めるしかなかった
今のような残酷な書き込みもあまりなくて、優しさがまだあった時代だ
ブログ黎明期の頃だから、心の痛みも理解し合えていたんだろう
自分が主に交流の場としていたのが今はなき
Yahoo Blog
ブログとしては珍しくSNSに近いものだった
今となれば化石みたいなものだけど、消えた時は喪失感で涙が溢れた
それくらい想い出が多かった
ブログで交流を続けてると警戒心もなくなり
リアルでも会うようになる
グループも含めたら30人とは実際に顔を合わせてる
ほのぼのとした時代と言えばそうなんだけど
ゲスブに携帯番号、内緒で書き込んだり
今みたいに晒すなんて行為もなかった
LINEもなくてメール交換
既読もつかないからある意味
疑心暗鬼もなくて良かったと思う
同じネット時代なのに隔世の感がある
今だったら出会えてなかったと思う
もちろん年齢は大きいけど
お金もなかったしね
弱い者同士で傷を舐め合う
それだけで救われたしね
自分はすっかり変わってしまった
環境も時間も
自ら死ななくてももう死ぬだろうし
ここで書いてきた彼女たちを心から愛していたのは事実だけど、結婚しなくて良かったし、別れてお互い良かったと思ってる
彼女たちも初老に入ってくるだろう
もう静かに死にたいね...
女性も性を求めるのは当たり前なんだけど
それをここまで表現してしまう
現代では特に驚くこともないのだけど
当時では勇気のいる言葉
恥じらいもなくと叩かれるんだろう
男が道徳的なことを言い
女性からの誘いを断る
それはある意味
若さ故への男特有の照れ隠しか
触れて欲しいという女性を諭す
時代を超えて人間の煩悩は変わらない
与謝野晶子
やは肌の あつき血汐に ふれも見で さびしからずや 道を説く君
私のやわ肌の熱さに触れも見もしないで、道徳的なことで諭そうとするあたなたは寂しくないのでしょうか
季節は夏を飛び越え秋の入り口
寂しさは年齢を重ねるごとに
諦めの境地になる
嗚咽を娘に見せないようにするのが精一杯
毎日一緒に暮らしてた家はもうない
取り壊されたそこは新しい家
そして新しい住人
思い出という哀しみ
後悔はないけどね
精一杯生きたから
娘がいなかったら終わってたかな
それくらい大きな存在だった
秋は冬へと
そしてまた歳を重ねる
いつ人生終わるんだろね
何度目の夏だろう
来年の夏は訪れるかわからない
今の自分は市外に出ることすら困難な持病を抱えてる
生きているとは言えない人生だ
もう一度輝こうなんて思うはずもないくらい年老いた
ただ死を待つだけの時間
リンクの女性とは今も友だちだ
友だちというより戦友かな?
あれだけ尖ってた昔が嘘のようだ
気まぐれにLINEしたり電話したり
もう気負った関係ではない
既読とか未読も気にならないくらいだ
たまに諍いみたいなことはあるけど
お互い干渉しないので
バカな話で盛りあがる
以前の記事にも同じようなこと書いたけ
もう14年
彼女も年齢を重ねた
セックスはしたけど付き合った関係ではない
不思議と友人関係は切れてない
話し始めると何時間でも話す
お互いの話の引き出しが多くて面白い
この先死んだ時、
どう伝えたらいいのか考える
音信不通は嫌だし
難しいね、遠く離れてると
生きてます
朽ち果てるまで醜くく
今は何も興味がない
この長いブログも2ヶ月更新してなかった
気力も尽きたか
書くこともないので
生きてる証だけ残しておきます
何も付けずにしてしまった
大量に中に出した感覚が残る
朝、市岡で珈琲を飲んでる時
まことさんの子どもが
もしできていたなら絶対生みたい
強い口調でKが言う
数日後、Kにさよならを言ってしまう
Kは止める自分を振り切って逃げ出してしまった
そして彼女は深く手首を切った
「やっぱり子供ができてたら堕ろさなきゃいけないの?」
「そんなことない、産めばいい」
「産んだ子はどうするの?」
「...」
「私は堕したくない」
Kが道に倒れ込んで泣き叫び出した
「死にたい、ねえ今なら死ねるよ私!殺してちょうだい!ねえ」
倒れ込んでるKを無理やり起こした
すると血だらけになった手首を背中に回して抱きついてきた
服は血だらけになる
真夜中の路上でキスして
離さないK
泥沼に沈んでいく
「こんなに好きなのにどうしたらいいの?」
結局、妊娠はしなかった
あの時Kが子どもを産むことになったら
結婚していたと思う
その後の人生が悲惨であっても
大阪の街は変わる
25歳の夏は遠い昔...
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寒い日だったのは覚えてる。
バレンタインの日に女なんか買う男なんてどうせモテない男だろうトタカをくっていた。
その日は土曜日だというのに全く暇で2〜3時間お店で待機してた。
やっと仕事が入ったけど利用時間もその場で決める客と聞き、要するにデリヘル嬢の顔を見て嫌だったら チェンジかぁ・・・と期待せずダラダラとホテルに入った。
入ってびっくり。
モテない男どころかイケメンじゃん!
しかも疲れて眠くて今にも倒れそうな顔をした彼がいた。
「お!可愛いねぇ。」とマジマジと見られた。
「どうも(笑)。私でいいの?」
「うん。」
「時間は?」
「とりあえず2時間。」
・・・2時間も取る客なんて初めて。大抵1時間半とか酷いと60分だったりする。
とりあえず一緒にお風呂に入りながら話をする。
「モテそうな顔してるけど、彼女とかいないの?」
「ん〜・・・いるよ。」
「チョコとか貰ってないの?」
「あ〜・・・朝チョコだけ持ってきたなぁ」
「そのまま出かけなかったんだ。」
「ん・・・。
・・・なんかさぁ・・・そういうのが3人位いるんだけど・・・」
・・・あらま。
とりあえずお客の立ち入った話をあんまり聞いてもしょうがないしやることやりましょ・・・と思ってお風呂を出た。
いざセックスを始めたらとにかく驚いた。
まずキスが上手!
凄く気持ちいい!
彼が挿入しようとした時ゴムを付けずに入れようとしたから「ゴム付けて」と当たり前に言ったら、
「ヤだ。」と。
え〜〜〜?と思ったけどこれが物凄く気持ち良くて、病気の事とかは気にはなったけどあんまりにも気持ち良くて「あぁもういいや・・・」とそのままやってしまった。
結局2時間は裕に越していた。
終わった後急ぎながら軽く話をした。
本職は(その当事)配送の仕事をしている話と自分の家の方向。
彼、すっごく驚いた顔をして「マジ〜!?」と。
少し考えた顔をした後、
「・・・プライベートでもどう?」と。
私もかなり驚いたけど、彼の顔がいいことととセックスがとても気持ち良かったのでついつい喜んでOKしてしまった。
・・・それが始まりだった。
彼女は当時、失業して途方に暮れてた
精神的に変調をきたし
風俗という未知の世界に足を踏み入れた
その背中を押したのは自分なんだけど
2ヶ月ほどで辞め
その後は資格も得て真っ当に働いた
この男とも別れ
今は再婚して幸せに暮らしてる
人の運命はわからない
LINEのやり取りは続いてて
もう14年
風俗は黒歴史だけど
よかったね
ようやく平穏なな暮らしができたと思う
年齢を重ねて気づいたことがあった
これは自分がケルンの次に一番聴いていたもの
どこのCDショップに行っても見つからないし
YouTubeでも見つからなかった
だからこれを発見した時の喜びは大きかった
アメリカンカルテットは「生と死の幻想」ばかり取り上げられるけど
自分としては圧倒的にこちらのほうがいい
キースってどこまでロマンチシズム溢れる男なんだろう。
曲の中間部からのピアノのメロディはとても美しい
あとベースのチャーリーへイデン
文句つけようがないくらいいい
そんなこんなで
引越しの整理をしてたら忘れていた懐かしい写真が出てきた
まだ結婚前の一人暮らしの頃
ああ、こんな時もあったんだ
この写真は同じ会社のTが撮った
確かあの夏前だったような
そんな気がする
この時、元嫁と知り合ってたかな?
ああ、覚えていない
覚えていなくていいんだけど
写ってる女性は確かスナックにいた人だったと記憶してるけど
これもあまり印象に残ってない
歳を取るって儚い...
何をしても許すこと
たとえ理不尽なことでも
相手を理詰めで追い詰めないこと?
もう終わったことだから
今さらなんだけど
空気を読んで
こちらから離れてあげるのが優しさ
そう思い別れた
後悔がないと言えば嘘になるけど
時間の問題だったのは事実
遅かれ早かれ結論は同じ
傷が深くなる前に離れたほうがいい
最後は憎い思いもあったけど
それ以上に愛してくれた日々がそれらを消し去ってくれた
激しく愛し合った事実は消せない
それだけでいい
あれ以上愛してくれた人はいないし
愛した人もいない
嘘をつかない恋愛はない
嘘も全部受け入れて
それが愛だったと思う
もう今年も終わり
また歳を取る
生きててもつまらないし
価値もない
誰しも時間の流れには抗えない
今は早く死にたいと気持ちと
生きて見届けたいものとの気持ちで揺れている
もはや早すぎる死ではない年齢
人の温かさと冷たさ
両方を垣間見ることもできた
それでいい
それでいいよ...
どんなに健康に気をつけていても
どんなにお金を稼いでも
この世から自分という存在が消えてしまう運命からは逃げられない
与えられた時間は人それぞれ違うが
たいした年数は生きられない
人間とははかなく弱い生き物
誰かがいなくては生きていくことさえ出来ない
依存するな
自立しろ
優しさのかけらもない
偉そうに言う輩が世の中に多数いるが
依存しないで生きてる人間なんてこの世にひとりもいない
弱いもの
自分が言いやすい人間にだけに向かって説教をする
あなたは誰にも依存せずに生きてるのかと思う
国は外国に依存しなければ食糧もエネルギーも入って来ない
自立しようとすればどこかの国みたいに鎖国状態になり
恐喝して金を巻き上げるしかない
人は助け合わなければ生きていけない
依存したら関係を絶つ
なんて傲慢な人間だろう
何様だと思う
そういう本人は会社に依存し、社会に依存しその金で生活している
胡散臭いセミナーにはまり人をたぶらかす
害悪としかいいようがない...
「鳥のように生きたい・・・自分の魂を取り戻したいのです。私は生きたい
野の暮らし、丘に行き、木に登り河に泳ぐ・・・この足で大地を確かめたいのです。
私は貧者になりたい。キリストも貧者でしたし、その使徒も・・・その自由が欲しい。
もう息子ではない・・・肉からは肉しか生まれず、霊は霊からのみ生まれるのです」
十字軍に参加して命からがら傷ついて帰ってきたフランチェスコ
意味のない戦い、戦争から帰還して彼は人格が変わってしまった
物欲にしか興味のない父親
イエスの教えはいったい何処へいってしまったのか
「愛されるより愛したいのです!私に喜びを!」
ブラザーサン シスタームーン
その声はめったに私には届かない
自分の悩みだけに心を奪われて
兄である風よ
姉である空の精よ
私の目を開いておくれ
清く正しい心の目を
私を包む栄光が
目にうつるように
神に与えられた命
私にも神は宿る
その愛がいま
この胸によみがえる
ブラザーサン シスタームーン
今こそ
その姿に触れ
その声を耳に
そして胸を打つ
あふれるこの愛
夢をまことにと思うならば
あせらずに築きなさい
その静かな歩みが遠い道を行く
心をこめればすべては清い
この世に自由を求めるならば
あせらずに進みなさい
小さいことにも
すべてを尽くし
飾りない喜びに
気高さが住む
日ごとに
石を積み続け
あせらずに築きなさい
日ごとにそれであなたも育つ
やがて天国の光があなたを包む
Lyrics and music by Donovan
貧しき者は富ある者に憧れ、そうなりたいと願うものだ
厳しい労働からも解放され自由の身になるには富を手にしなければならない
しかしまったく逆の人も世の中にいる
「わたしは貧者になりたい。何もいらない。ただ鳥のように生きる」
貧者こそが美しい
金持ちの毒に汚されてない
神に祝福される人々
お金持ちの家に生まれた世間知らずのお坊ちゃまの青い心
そう言ってしまえば身も蓋も無いのだが
この映画は単なる宗教映画ではなく崇高な気持ちにさせてくれる
忘れかけてた何かが蘇る
財産を全て捨て貧者になろうとする息子を親は気が狂ったと思う
しかし彼にはこの世の物欲など汚らわしい存在であり
神に捧げる人生こそが唯一価値のあるものだったのだ
宗教プロパガンダとして捉えれないほど多くの人に感銘を与えた名作
全編に流れる美しい音楽と風景に癒される
腐りきった宗教政治と権威主義
イエスキリストの教えから遠ざかる教会組織
彼は命をかけ自らを神に委ねた
イエスも貧者だった
十字軍の遠征で荒廃した人々の心から真の優しさを与えてくれる存在が彼だった
現実に話しを戻そう
自分は宗教を信仰してるわけでもなんでもないが、否定はしない
ドノヴァンの美しい曲に心動かされただけかも...
姉さん僕たちは、貧乏になってしまいました。生きて在るうちは、ひとにごちそうしたいと思っていたのに、もう、ひとのごちそうにならなければ生きて行けなくなりました。
しかし姉のほうがはるかに異常である
愛する人、それも配偶者のある相手にあてた手紙は狂気だ。
抜粋すると
私の胸の中に、リアリズムという言葉と、ロマンチシズムという言葉が浮かんできました。
私に、リアリズムはありません。こんな具合で、生きて行けるのかしら、と思ったら、全身に寒気を感じました。
私は、あなたの赤ちゃんがほしいのです。
私生児と、その母。けれども私たちは、古い道徳とどこまでも争い、太陽のように生きるつもりです。いまの世の中で、一ばん美しいのは犠牲者です。
狂気と陰鬱がないまぜになるこの小説を読み終わると何かが壊れるのを感じる
まさに斜陽
汚された自分にこそ生きる価値があるのだ
真っ黒い雲が垂れ込めている
孤独と生活苦は理性を狂わせる
愛する人の赤ちゃんをその人の奥さんに抱いて欲しいとお願いするところなど完全にあちらの世界に行ってる
それでも世間から疎まれる恋ほど燃える
逸脱した感情がある人を人は狂気と言う
狂気は美しい...